2011-05-25(Wed)

釜沢城跡

落城



集落背後の小高い山上が城跡です。
戦国時代には小笠原氏の居館で本館(釜沢城)と寺館(常楽寺館)の二翼からなり、古くは樺沢城と呼ばれていた。九戸政実の戦い(1591)の時、城主の小笠原淡路の守重清が三戸側に従わなかったため、九戸落城後に南部信直に攻められ激戦の末、落城した。
そして、小笠原淡路の守の怨霊へと続く・・・。 


釜沢城落城後・・・
それから三戸城に異変がおこった。
夜静まれば信直がうなされた。
淡路の守が髪を乱し信直を「はっ」とにらみつけるのであった。
それが幾夜にも続き、ついには昼でも信直がまどろむと淡路の守が出た。
信直の顔には、あせりと衰えがはっきりと現れた。
そして、病気のように元気を失い笑いのない日が多くなった。
重臣の北左衛門が心配し信直を慰めていると、信直がふと「世間に何か珍しいことはないか?」と問いただした。

北左衛門は「近頃、ふしぎな事を耳にしております。大光寺右衛門が淡路の守を討ってから、毎夜枕元に亡霊が立ち眠れないとのことで、やつれ果てて元気がありません。人に語ると『何事ぞ、気が衰えたか』と物笑いの種になるばかり・・と私に秘めて話しました。
『このままでは、亡霊のために命をとられるのではないかと思います』とも訴えました。
「そこで私は、『そのような場合は神仏の力によって取り除くことができましょう。よき出家を頼んだら』といってやりました。
そして、三戸長谷寺の石門和尚を推挙しました。
石門和尚は仏法の扇義を極めた高僧であります。
右門和尚は、三日三晩の間、幽鬼退散の法、満散の祈祷をいたしました所、不思議やそれ以来幽鬼が出なくなりました」と申し上げた。
信直も幽鬼に悩まされている事を語り、幽鬼退散のことを北左衛門に依頼した。
北左衛門よりこの話を聞いた右門和尚は、成仏の壇、悪鬼降伏の壇、国家安全の壇をつくり祈祷を続けた所、七日もたたないうちに淡路の守の幽鬼が信直のもとから消え去った。
信直の喜びは非常のものであり、右門の仏力を褒め、小笠原家の領地(700石)のうちより5百石を右門和尚に賞ししたという。
そして、「われの引導も頼んだぞ」と約束されたという。「釜沢家記録より」

いつの世も争いごとには悲しみがつきものようですね。
rinngo
リンゴ畑が見下ろせる地に(金峰庵)重清は眠っているという・・・・。
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