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2011-05-24(Tue)

悲しき歴史

りんご


リンゴの花が咲き乱れるこの釜沢地区の畑にひっそりと「淡州公供養廟」があります。
城主小笠原淡路守重清の死を悼んで作られた廟です。


りんご


この地には悲しい歴史があります。

<小笠原淡路守重清の最後>

天正19年3月、正実が近隣の諸館を攻略し始めた。
九戸争乱の火ぶたが切られるが、三戸南部26代信直は豊臣秀吉に援兵を依頼した。
と同時に三戸を出発し、九戸勢の討伐を企てその通り道にある小笠原氏に案内役を指令した。
しかし、小笠原氏は「せっかくだが病気に伏しておるので案内役はできない。ご自由にお通りになってよい」と云う返事をした。
信直は拒否の態度を取られたので内心穏やかではなかった。
九戸城が落城後、信直は「小笠原のこれまでの態度を逆心ありとみとめる」という理由をつけて6百余人の手兵を与え討伐を命じた。
小笠原淡路の守は、豪勇の武士だったが、6度の合戦の果て、城と運命を共にし切腹して相果てた。
奥方は裏道の乳の宮まで逃れ、和泉に乳を飲ませようとしたところを南部の兵により、槍で刺し殺されてしまったという。(乳の宮伝説)
和泉は乳飲み子のために難を逃れた。
城が落ちた後、淡路の守の家来近藤氏が主の屍に泣きついて「南部氏に祟り恨みをはらすよう」と叫び祈った。

そして、この話は、淡路の守の怨霊へと続く・・・・hatake
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