2011-03-01(Tue)

座敷わらし

kamemaro
ゆの香市の帰りに「亀麿神社」に参拝に行って参りました。
緑風荘の焼け跡は、ひっそりとしていましたが、亀麿神社には参拝の人が訪れる事が多く
歩きやすいように新しい外灯を設置していました。
私が撮る写真には、まだ、オーブが写ったことがありませんが、
(私の日頃の行いが悪いからでしょうか)
この地で撮るとオーブが映っているときがあるそうです。
オーブは、霊光なのだそうです。

亀麿神社の(緑風荘)座敷わらしの歴史は遠く650年前までさかのぼるそうです。
五日市家の先祖は万里小路(までのこうじ)藤原藤房といい、後醍醐天皇に仕えた公家だった。
南北朝の乱で足利尊氏に破れたために(後醍醐天皇と仲たがいをしたという説もある)、
この地まで落ちのびてきた。
藤房には幼い息子が2人いた。
長男の亀麿はここ金田一で病を得て、わずか6歳で世を去り、
死の床で「末代まで家を守り続ける」と言い息を引き取った。
その亀麿の霊が奥座敷「槐の間」に棲みつき『家の守り神』となり、
時々客人に姿を見せたりいたずらをするようになったと言い伝えられています。
その、亀麿を祭ったのが「亀麿神社」だそうです。
座敷わらしに出会えると驚くほどの幸運に恵まれ男は出世し、
女は玉の輿にのると一般的に言われていました。
福の神とされている座敷わらしですが、座敷わらしの伝説が残っている地域は、
古くからたびたび凶作に苦しめられてきた東北地方にほぼ限定されているのはなぜでしょうか?
「座敷わらしの中には、亡くなったのではなく間引かれた(=殺された)赤子も少なからずいたのではないか」といわれ、
江戸時代最大の飢饉(ききん)と言われた天明の大飢饉の際には、
東北地方で数十万人規模の間引きが行なわれたことが史実に残っていわれています。
三浦哲郎著のの「ユタと不思議な仲間たち」に登場する座敷わらしは、
江戸時代の飢饉のさなかに生まれてすぐに間引かれたと設定されています。
凡人の私には、わからないのですが、この世に生きたかった気持ちの強さなのでしょうか?




isi

この神社のそばに面白い石がありました。
オーブのような模様の石です。

この石はなんなのか、後で聞いて見たいですね。
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