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2010-04-26(Mon)

4月の定例会

学校へ散歩に行くと、桜のつぼみがふくらんでいました。
春は、すぐそこにきているのですね。
金田一には、二つ、一里塚があるといわれています。
一つ目の一里塚は、小野地区にありましたが、今はないという残念な結果になりました。
もう一つの一里塚は、どうやら
「ととめき石」のあたりらしいのですが・・・
この調査もぜひ、行ないたいと思います。

 今日は、会長宅で定例会を行ないました。
1、5月2日;御所野でのフリーマーケット
2、奥州街道の一里塚・案内板→地域づくりに相談
3、5月16日:日の沢観音参りについて
4、「街なか市」仮名について
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2010-04-19(Mon)

お米!コメントありがとうございます!

「先日、私の職場の近くのスーパー(東京都)
で金田一中の生徒が
販売していたお米を買いました。 「おしどりの里米」1.2キログラム。
かわいい生徒たちが、小さなおにぎりをごちそうしてくれました。
これからもそのふるさとを大切にしてくださいね。」

と心温まるコメントをいただきました。

 ちゃっこいぞうりがで、中学生との交流が始まり、
その中学生がを運んでくれました。
おれいにぞうりを差し上げたいのですが、わかりませんから、春の写真を1枚載せました。
金田一もやっと、春の足音がしてきましたよ。
が咲き、大喜びで木に登っている子供達の姿です。
うめ


 木登りをした事有りますか?
子供達に云われて、私も何十年ぶりかに登ってみました。
ほのかに梅のにおいがして気持ちがいいなぁと思ったのもつかの間、
降りる時は半べそをかいてしまい、子供に笑われてしまいましたよ!
2010-04-19(Mon)

たっつぶ

tanisi
先日、なにゃーと市でめずらしいものを見つけました。
「たっつぶ」、たにしです。
久し振りに見たので購入しました。
値段は、「400円」
2パックを買い、味噌汁にしてみました。
子供達の反応は、どうでしょう・・・・。
知っているという子は少なく、みんなぎょっとしています。
食べ方を説明し、身体にいいことや無農薬の田んぼにしかいないことを話しました。
おそるおそる、たにしにつまようじをさして食べる子は少なく、
ほとんどは周りの反応を見ています。
全く、食べないという子に「おつゆだけ飲んでみて!」と勧めると、
仕方かないような顔をして一口!
口に入れると「おいしい!!」と一言!!
「やっぱし、自然の味は最高だね!」という元気な声が返ってきましたよ!

今では、本当に珍しくなったものがたくさん有ります。
できるだけ、そういうものに触れ、感じてほしいものですね。
2010-04-15(Thu)

雀こ坂と今後の活動予定

老人に「雀こ坂」を尋ねると、
なんの躊躇もなく、姉滝左側を通る
道路の場所に案内してくれました。
「ここが「雀こ」と云うところだ。」と云う。
老人は、
「むかしゃ、さびしねぇこっくりゃとこで、ひともおかなくってとおらねぇかった」と。

miti


現在は土を削ってゆるやかなのぼり坂だが、昭和の中ごろまでは、
両サイドに残っているように高い所までの急な坂を登り、峠より急な下りになり、
姉滝入り口の所に降りたとのこと。
この急な登り下りの坂道であるから「雀こ坂」と云ったのではないかとのこと。

これからすれば、某資料の表現に誤りがあるように思うのだが・・・。

「部落の200m程手前に一里塚があり、
小野部落を過ぎて、直も急坂「雀こ坂」を登り下りし、更に土堂(藤)坂へと進む」
と是正すれば現状と一致するのだが・・。


 今回の調査は、小野地区周辺と土堂坂でしたが、来月は地域の人たちと
一緒に川口周辺を刈払いしながらごみ拾いをしようと思います。
miti



 今年の予定は、「斗米駅から金田一温泉駅まで」
金田一温泉駅からみのがさかまで」の二つを街道ウオーキングとして取り組んで行きたいと思っています。
その時までに、少しづつこの結果を整理しまとめ、一里塚の事や道を皆さんに知らせたいため、
『跡地としての看板や街道入り口の案内板』を立てたいと思っています。
(予算はない
それから、もうひとつ考えています。
それは、この場所を出会いの場にすることです。

奥州街道歩きを出会いの場・婚活にしてみたらいいのでは・・と。
ここで出会って愛が芽生えて結婚する事になったら、
「市民で祝う結婚の場」を作ってあげたいと思っています。
 ただいま、就活・婚活そして、地活(地域おこし)ですよね!!
2010-04-14(Wed)

一里塚は?

小野
 ここは、小野地区の踏み切り。
念願だった道路拡張。
車が通り、海上に行く道もよくなりました。
老人に案内され、踏み切り沿いを歩いてると、急に止まり、民家を指差しし
「ここがそうだ」
と云う。




一里塚はもうなかった。
地主が、いくらでも穀物の作付けをしたいと一里塚の山盛りを
削り取って平らにしたそうだ。
鉄道を斜めに横断する形でIGR用地と杉林のふもとを街道が南に
通っていたという。
道根山の東側法面、下に8~10mぐらいの所IGR用地上に平らな
道の形で30年ぐらい前まで木も生えないで、草芝のみのきれいな
状態で残っていたらしいのですが・・・。
老人が当時の国鉄の人に伺ったところ、昔の道路(街道?)だから残して
いたと話をしたそうです。


 某資料には、「旧街道は金田一駅裏手から山腹へ登る。
府金坂でひどい急坂である。
そしてなおも雀こ坂を登り下りして小野の部落を過ぎ、
またも急坂、土堂(藤)坂へかかる。
この少し手前200m程の所に一里塚が在ったという。」と。
雀こ坂は、どこなんだろう?



2010-04-13(Tue)

山野草と老人

野花
※画像クリックで、大きな画像が見られます

この山野草は何でしょう?
山歩きの好きな、よりゃんせ会長に聞いたら、
すぐに「アズマイチゲ」と教えてくれました。

 アズマイチゲは,早春の精と呼ぶのにふさわしい春一番の野草のひとつだそうです。
林の中に、一斉に花が咲いていたところもあり、とても感動しました。
 午前中の花は閉じていましたが、日の当たるにつれて、花が開いていました。
良く似た、紫色の花も有りました。

それから、春のなじみの「福寿草」
「まんさく」とも呼ばれ親しまれています。

さて、話は続きの一里塚に・・・。
フガネ坂のあたりを探索していた時のことです。
一人の老人が歩いていました。(私はあまり老人と云う言葉は嫌いなのですが・・)
見慣れない人が歩いていると思ったのか、「何してるんだ?」と、声をかけられました。
この方は、小野地区の方で、歳は92歳だ云う。
話好きで、戦争当時のことや川柳をたしなみ、今も車の運転をしている話などを聞きました。
この人であれば、一里塚を知っているだろうか???
尋ねてみると、意とも簡単に「知っている!!」と云う。
驚き、胸を躍らせ、話しの続きを聞くと、こどものころは、その場所でテラボを捕って遊んだという。(バッタ)
昭和の初期の話らしいのですが、よくよく聞いていると30年ぐらいまでは、芝草が生えて綺麗な状態で残っていたという。
その場所に案内してもらう事にした。

続きは、また明日・・・。


2010-04-12(Mon)

奥州街道・金田一街道を探る

かいどう

  よりゃんせ7名、市の地域づくり推進課3名で「北奥路程記」に書かれている金田一の「一里塚」を訪ね歩きました。
北奥路程記より >
金田一町出口より、611間(1110.79m)行きて坂あり『ツガ子坂』(フガネ坂)と云う。この坂下より峠まで、126間(229m)。峠下、馬渕川の流れ右に見える。高さ10丈(30m)と云えり。川向には小林、下山井よく見える。
右峠(上記)377間(685.38m)行きて「一里塚」。この塚へ五日町の一里塚より 4130間(7508.34m)なり。随分かたき塚なり。
右塚(上記)より、106間(192.7m)行きて「小野村」。村中左に荒神の祠有り。小野村はずれより178間半(324.51m)行きて法呂沢、小橋2間。右に明神あり。これより土堂(藤)坂峠まで144間(261.79m)。


江戸時代、金田一は貧しく、民家があまりなかったという。
この辺りは桑畑が多かったらしい。
金田一町出口はだいたい下平付近だったのだろうか????。
まずは、目星をつけた道土堂坂の測量です。

miti

すがすがしい春の息吹を感じて、時折、時間が止まってしまいそうな山道。
この道を、江戸時代歩いたのだろうか?
miti



可愛い花々が、私達を和ませてくれました。

hana



江戸時代の測量は、3人ぐらいで縄を用いて行なったといわれていますが、大変だったでしょね。
つづきは、明日・・・。
2010-04-06(Tue)

総会

平成22年度「よりゃんせ金田一総会」は無事に終わり、今年の計画を話し合いました。
その中で、昨年から行なっている奥州街道の一里塚が話題になりました。
金田一地区は、奥州街道の宿場町といわれていますが、一里塚が見当たらないので、いろいろな道の説があります。
そのため、よりゃんせでは、一里塚を探す事にしました。
本来の道を探り、塚を探し、前回の道しるべを立てた場所とを結んだら1本の道が完成します。
ことは急げ!と来週早々探索に出かけることとなりました。


一里塚(いちりづか)とは、大きな道路の側に1里毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)です。

一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代です。一里塚には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていたそうです。また現存する一里塚の多くは道の片側にのみ存在するが街道の両側に対で設置されていたそうです。
プロフィール

よりゃんせ事務長

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