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2007-12-31(Mon)

もう一度聞きたい 正月の歌

 
お正月の歌というと、「もういくつ寝るとお正月・・」という歌を思い出しますが、
私は、去年の正月にカシオペアFMで聞いた平先生が歌った歌が、どうしても忘れられないのです。
車の中で聞いていて1番だけしか思いだすことができないのです。
その1番の歌詞は、たしか・・・
   
   正月って いいもんだ
   正月って いいもんだ
   雪のような ままくって
   紅のような 魚食って
   花のような べべきて
   つまかわかかった げたはいて
   正月って いいもんだ
               だったような気がします。

この歌は、着物やはきもの・食べ物がなかった時代に正月だけ特別な日になり、そのうれしさをおもしろ楽しく歌っているようです。
2番3番と平先生は、何番も歌っていました。続きを誰か知りませんか?
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2007-12-30(Sun)

晦日

今日は、晦日です。
前回述べたように、旧暦では31日がなく、その年によって晦日は、30日だったり29日だったりします。
今は、新暦で行なう人が多いので、明日の大晦日の日に、いろいろと準備をする人が多くいます。
晦日は、1月15日の女の年取りの対して、おとこの年取りといいます。
餅を搗き、いろいろな料理を作り、神酒と共に神前に供え家内は団らんして楽しく過ごすのだそうです。

 金田一地区の料理は、主に煮しめ・なます・煮魚・煮豆・白米飯などですが、昔は、正月3日日は刃物を使ってはいけないので、材料をたくさん切っておいたそうです。
 

 私は、まだ大掃除が終わっていなくって、今も忙しく動いています。
いい加減、区切りをつけて買い物へ行かなければならないのですが・・・・。
来年は、きちんと片付けて気持ちの良い年にしたいものです。
雪がちらちら降ってきました。明日は、どんな天気でしょうか?
2007-12-29(Sat)

旧暦と新暦


今年も残すところ2日となりました。
現在、私たちが日本で使われている暦は、明治6年の1月1日から使われています。
新暦は、太陽暦とも呼ばれて太陽の運行を基にして、1年365日、4年に1度うるう年があるのを基本としているそうです。

旧暦の1月1日は、まだまだ先で2月7日となっています。
新暦に慣れ親しんだ私たちにとって、旧暦はとても難解に感じられます。
旧暦は、月の動きを元にしているため、潮の満ち干に関係します。
それが、自然界に大きな影響を与えているわけです。
日本の季節にマッチしていて、これを生活に取り入れることは大切なことで、年中行事も旧暦で行ったほうがふさわしいようです。

しかし急に、今日は旧暦の1月1日だといってもぴんとこないし、周りに言っても解る人はあまりいないようです。だからというわけではありませんが、年中行事に親しむには、新暦で行なうのもいいと考えられています。
私も、新暦を中心とした年中行事を掲載していますが、旧暦で年中行事を行なう人が多いときは、旧暦での年中行事をお知らせたいと思います。
2007-12-28(Fri)

みつけました。先人の記録

昔の年越しと正月

昨日書いた年越しのことより詳しい、いや、それ以上に優れている文章を見つけました。
 それは、故久保田常次さんが集めたもので、平成9年の農協便りに書かれているものです。
昭和初期の正月が手に取るように解り、金田一駅前の市日の様子も書かれています。

この文は、二戸商工会のホームページのも紹介されています。

二戸商工会 http://www.shokokai.com/ninohe/
2007-12-27(Thu)

昔の年越し

 正月の準備として一番大変なのが煤掃きです。
27日の朝早く炉の火を消して、家財道具や食器など屋外に出し、自家製の草箒(くさほうき)に長い柄を付けて屋根裏の高い所から一年分の煤を払い下ろし、最後には鉤付(かぎつけ)を掃いて終わます。
 28日は、豆腐造りと餅搗きをします。
豆腐は焼用と凍豆腐用とに製法する。餅は最初に搗いた餅からお供え用の丸餅三組位造り、お寺に居る我が家への仏様用の丸餅五枚を重箱等に入れてお寺に届けて仏様に供えてもらいます。

旧暦の12月には、新暦のように31日の晦日はありません。そのため、前もってこのような準備をして年越しをしたそうです。

私の小さい頃も、この日は、朝早くから祖母や母が忙しく動き回っていました。
だるまストーブの上には、もち米炊かれていてとてもいい匂いがしました。
臼と杵で搗きあがる餅を、わくわくしながら見ていました。
祖母が、搗きあがった餅を、あっという間に丸餅にするので、食い入るように見ていました。
 また、畑で採れた豆を豆腐と交換し、凍み豆腐も作っていました。
藁で、丁寧に豆腐を編みこんでいく祖母の手が、本当に美しく見えました。
しかし、家で鶏を飼っていたのですが、その鶏を祖父が殺して毛をむしっている手が、とても怖かったのを思い出します。
お正月のご馳走だったのですが、私はあまり好きではなく、食べることができませんでした。
 祖母の手も祖父の手も、とても暖かく愛しい手だったのに幼い思い出ですね。
2007-12-27(Thu)


よりゃんせのシンボルマークとなっているのが、狐です

 会の発足のきっかけは,故久保田常次氏が生涯をかけて集めた、金田一地区に伝わる民話・年中行事・しきたりなどの記録を埋もれさせることねく活用したいという思いから始まりました。
 
昨年12月には、地元の方々からの挿絵の協力もあり、〔二戸狐ばなし〕の冊子の発行が実現しました。また、この本の中から三話を大型紙芝居にし、老人福祉施設やいろいろなイベントに参加し発表してきました。
そのようなことから、狐とは、切っても切れない縁で結ばれています。
二戸には、有名な狐が何匹かいます。縄張りや、すみかにぴったりの名前が多く、トトメキトラコ・イワダテイワコ・マガチャカマンコなどがいますこの狐たちはみんな、とてもあどけなく、素朴で哀愁をただ寄せています。
いつの日か、この狐たちの絵本ができたら、どんなにすばらしいでしょう。
二戸にも、遠野に負けないくらいいろいろな民話や、話がたくさんありますので、随時紹介したいと思います。

ブログの表紙となっている狐の写真は、会長の知り合いがくれたものです。
とても愛情溢れているものです。
2007-12-24(Mon)

大掃除

煤払い(すすはらい)「煤掃き(すすはき)」
 

現代ではどちらもあまり耳にする言葉ではありません。
それもそのはず、煤というものがほとんど出ない生活スタイルになったからです。

煤払いは、年末の大掃除に相当しますが、単に生活上必要に迫られてするような行為ではなかったようです。
新年を迎えるに当たっての、お清めの儀式のようなもで、一年間にたまった煤やほこり、穢(けが)れを払う伝統的な神事でした。
<13日あたりから、27日までに済ます。>
正月の準備に注連縄(しめなわ)を張ったり、松を飾ったりするには、まず家中をきれいにしないといけないのです。
煤払いには、先に葉を残した状態の竹、笹や藁(わら)を竹竿の先に束ねてくくりつけたものを使ったそうです。


現在は、掃除機があれば大体の掃除ができます。
しかし、主婦一人では、掃除もたかが知れています。
窓拭き、高い場所、換気扇、お風呂場等など、考えただけでもため息が出ます。
だからこそ、家族で協力しあって大掃除をし、新年を迎えたいものです。
クリスマスの日に掃除でもないのですが、チキンを焼こうと思いオーブン掃除をし、ついでに冷蔵庫の中も片付けはじめました。
やりはじめると、ひととおり終わらないと収まりがつかないのが大掃除ですね!!

2007-12-23(Sun)

輝け!金田一を考える会

金田一温泉駅のイルミネーション

kintaiti.jpg


金田一温泉駅に,かわいいイルミネーションがあるというので、見に行ってきました。
右手には、大きい木のツリーがあり、左手には、トナカイが光っていました。
駅の中に入ると、また、ツリーがあり、ざしきわらしもうれしそうに踊っていました。
待合室には本が並べてあり、さながら小さな図書館のようでした。

この駅の運営は、14年度からIGRになりましたが、以前は地域の人々の力で支えられていました。 
いまでも、駅前子ども会、町内会の皆さんは、駅の清掃や花壇の整備等に精を出しています。

そんな人たちが集まり〔金田一を考える会〕を発足したそうです。
金田一を考える会といえば、芸能の集いです。

今年もこの会を開催することなったようです。
3月2日日曜日
私たち「よりゃんせ金田一」も出演予定です。

jitaku.jpg

↑事務長の家のイルミネーションです。
2007-12-22(Sat)

冬至

22日は、冬至です。

昼の時間が一年でもっとも短いといわれ季節は、厳寒へと向います。
昔から冬至の日に、冬至かぼちゃや冬至粥(小豆入りのお粥)を食べると風邪をひかないという言い伝えがあります。

本来かぼちゃは夏が旬の野菜ですが、かぼちゃは保存に強く、切ったり、傷をつけたりしなければ長期保存できます。
夏の太陽を浴びたかぼちゃを大事に保存し、風邪が流行したり緑黄色野菜が不足したりする冬季に、かぼちゃを食べるという先人の知恵の奥深さに感嘆します。

そこで、子供達と一緒に、カボチャのホットケーキや煮物を作って食べました。
この時期のかぼちゃは、あたりはずれがあり、切ってみなければ分かりません。
カボチャを包丁で切ると中身は、まっ黄色でした。
”なかにおひさまがはいっているよ!”とうれしそうに言った子がいました。

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2007-12-21(Fri)

舟沢観音

冬の舟沢観音〔十二曲がり〕

雪がちらちらと降っていたのですが、天候がよいので子供たちと一緒に十二曲がりを登ってみました。
12magari2.jpg

12magari.jpg


この辺の子供たちは、季節にこだわらず遊び感覚でこの山をのぼります。
悠々と行って帰ってこれる距離ですから、中には走って登る子までいます。

私の小さいころは、頂上に子供が通るくらいの穴が開いている所がありました。
その穴を通ることができると、頭が良くなると言われよく登ったものです。

現在は、なくなり残念ですが、一つ二つと数えながら楽しみ歩く姿は今も変わりません。
odou.jpg
2007-12-21(Fri)

疱瘡神様の年取り

12月20日のこの日は、赤飯や小豆飯をお供えします。

現代では根絶された天然痘ですが、明治時代までは、一万人前後の死者をも出す伝染病でした。
そのため、天然痘から守ってくれる神様として,疱瘡神をおまつりすることになりました。

疱瘡神(ほうそうがみ、ほうそうしん)は、疱瘡(天然痘)を擬神化したもので、疫病神の一種です。疱瘡神は貧乏神と同様に、破れ団扇を片手にぼろ衣を纏った老人体に描かれています。
そして、ワラの船に乗ってどこからともなく現れ、人間の夢の中に入り込んで取り憑くとされます
。この疫病神に取り憑かれてしまった者は疱瘡や麻疹などの悪病に罹り、高熱を出してその多くが死んでしまうとされます。

疱瘡神は犬や赤色を苦手とするという伝承があるため、「疱瘡神除け」として張子の犬人形を飾ったり、赤一色で描いた鍾馗の絵をお守りにするなどの風習を持つ地域も存在します。
また祀りもてなす事で疱瘡神に手加減をしてもらい、災厄を軽く抑えようとする風習(疱瘡神送り)をする村もあります。

また、天然痘でできたカサを「いもっこ」といいました。
その、天然痘を治してくれる神様が、「いもん婆様」。
別名、いも婆様とも言います。
2007-12-19(Wed)

御蒼前様の年取り

19日は、御蒼前様の年取りです。

御蒼前様とは、馬の神様のことです。餅か豆しとぎを供えます。
供物には、よく豆しとぎが出てきますが、私の家でもよく祖母が作ってくれました。
そのまま切って食べるのですが、生ものなので、おなかを壊さないようにストーブで焼いてもくれました。すると、香ばしい匂いや味がしたものです。

お供えしたものは、山の神様への供物と同様、若い女の人は食べてはいけないそうです。
馬の妊娠期間は12ヶ月なので、供物を食べてそのようになっては大変だからだそうです。

岩手県は、古くから馬産地として知られています。
江戸時代以前は、主として軍馬や騎馬として使われていましたが、寛政年間(1789年頃)から農耕用として農民が家族同様の愛情を注いで飼うようになり、人と馬がひとつ屋根の下で暮らす南部曲り家が造られました。
こうした愛馬精神から自然に生まれたのが馬の神をまつる「駒形(蒼前)神社」です。

滝沢村の鬼越蒼前神社では、無病息災や五穀豊穣などを祈った後、赤や黄色など色鮮やかに着飾った87頭の馬コが、曇り空の下、軽やかな鈴の音を響かせながら、盛岡市の盛岡八幡神社まで行くチャグチャグうまっこが行なわれます。

二戸にも上斗米に蒼前神社があります。
2007-12-18(Tue)

観音様の年取り


17日は、観音様の年取りです。

年とりには、まめすとぎやはっとなどを供えます。
金田一には、日の沢観音、千手観音,舟沢観音があります。
その観音様めぐりを企画し、募集したところ、日の沢観音めぐりでは、20人、千手観音・舟沢観音めぐりでは、45人もの人々が参加をしてくれました。

【二戸の七観音かけ】
二戸の七観音かけとは、旧暦7月10日に巡拝する風習のことです。
この日は、観音様の縁目の4万6千日にあたり、行基が天台寺の桂泉観音を彫り終えたとされる日です。

1番 桂泉観音〔浄法寺〕
2番 中里観音〔一戸町〕
3番 実相寺観音〔一戸町〕
4番 鳥越観音〔一戸町〕
5番 岩谷観音〔二戸市福岡〕
6番 朝日観音〔二戸市石切所〕
7番 似鳥観音〔二戸市似鳥〕


観音様は、観自在菩薩 かんじざいぼさつ・観世音菩薩 かんぜおんばさつの略称で、救いを求めるものがあれば、いろいろな手段を使って救うという意味を持ちます。
昔話では、夢枕に出てお告げをしたり、お参りする人の願い事をかなえてくれるありがたい存在です。

杉の木会の或人の夢枕にも、時々立ち、お告げをするそうですが、見える人には、本当に見えるように、信心深い人には、ご加護があるのでしょうか。

我が家は、舟沢観音様近くなので、天候のよい日や17日には、よく観音様参りをする人を見かけます。
2007-12-17(Mon)

よりゃんせのお店 臨時オープン

二戸市シビックセンターのチャイブの一角に期間限定で、作品の展示をかねて品物を出すこととなりました。

品物は、ぞうりと、あめで、展示だけではなく、売買もできる様になっています。

草履は、講習会をし、何度も改良を重ねたものです。
ぞうり講習会は、2回行い、どちらも、14名ほどの出席で小学生も3名出席してくれました。
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講師の中村さんは、80歳ですが、器用に手を動かし会話もしっかりとしていて、とても高齢に感じませんでした。

藁を打ち、乾燥を防ぐためにスプレーで水をかけてから行なったり、キビからは、2度煮てから、天日干し切りそろえました。
みようがは、青々とした葉を天日干しにしました。布も、均等に切りそろえてアイロンをきちんとかけました。

このように、下準備は、どれも大変でしたが、やってみるとおもしろく楽しみながら行なうことができました。

草履は、先人の知恵がぎっしりと詰まっていて、足裏や指に適度な刺激を与え、健康な体にしてくれます。
この作品の販売による売り上げは、活動の資金として役立てたいと思っています。

飴は、金田一で古くから作っているもので、一つ一つ手作りです。
そのあめを、お店のご好意もあり安く仕入れることができました。

ame.jpg

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↑折り紙で、よりゃんせのマスコットの狐を折り、飾っております。

少しの売り上げですが、私たちの励みとなり力になっています。

飴は、「なにゃーと物産センター」でも販売しております。
2007-12-16(Sun)

年中行事食の再現

今日は会長宅に集まり、食の再現を行いました。

現在年中行事を行うときは、新暦で行うことが多いのですが、昔ながらに旧暦で行なっているところもあります。
今日は、小豆粥、蕎麦、うどん、へっちょこだんご、しとぎ等を作りました。

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皆さん手なれたもので、どれも、おいしいものができ、写真に収めることができました。

昨日の15日は、八幡様のとしとり日で、八幡様を祭っていられるところでは、赤飯を供えるのだそうです。
福岡町成田山では、ご祈祷が終わると境内に除魔火をたき、さらに一年間無事に各家を護って下さった、種種のお守り札などを集めて奉よをおこなうそうです。

そして、今日16日は、おしら様のとしとりです。

としとりには、ウキウキというヘッチョコ団子をお供えしますが、きび団子を16個神棚に供えるところもあります。

おしらさまといえば、遠野と言われるように有名ですが、私たちの住んでいるところでもおしら様は昔からあり、幼いときは家々を御渡りになっていました。
祖母は、おしらさまが来ると私に遊んであげなさいといい、きれいな着物に着替えさせていました。現在おしらさまは、長寿寺や地蔵尊に祭っているそうです。
おしら様は、一般的に養蚕の神とされていますが、目の神、女の病を禱る神、子供の神、狩の神などともいわれています。

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2007-12-13(Thu)

山の神

山の神は、男だろうか、女だろうか?

実際の神の名は、地域により山の神・山神とも呼ばれています。
その性格やあり方は、山の住む山民と麓に住む農民とで異なるそうです。

どちらの場合も、やはり、山の神は一般に女神であるとされており、そこから自分の妻のことを恐妻であるとして謙遜する〔山の神〕という表現がうまれたそうです。
〔日本書紀〕のイザナミノミコトや〔ギリシャ神話〕のゼウスの妻ヘラが恐妻としてあげられるそうですが、本当のところ、どんな妻が、恐妻なのでしょうか?

農民の間では、春になると、山の神が山から降りて来て田の神になり、秋には再び山に戻るという信仰があり、山の神が祖霊であるという説が有力です。
また、猟師や、炭焼きなどの山の民は、自分たちの仕事場を守る守護神だとして、その日には仕事を休み、お供えをして山の神を拝み、お神酒上げをします。

山の神様の日は、2月、9月、11月、12月の計4回あるそうです。(いずれも12日)
年取りの日には、魚料理を供えて、所のよっては、膳にわらを敷きその上に米のストギを12個ならべます。
12個並べるわけは、山の神様の子が12人いたからで、そんなに子供を授かっては困ると普通の家では、女性が食べてはいけないそうです。

今現在、金田一でこの行事を行っている家は数件しかありませんが、そのお宅に行き取材をする機会を得たことはとても貴重なことです。

後で写真を掲載したいと思います絵文字名を入力してください
2007-12-12(Wed)

大黒様の年取り

【よりゃんせ金田一・今年のテーマ】

今年のテーマは、古きを訪ね新しきを知るです。
そして、年中行事に取り組むことです。

今更、年中行事と思うかもしれませんが、物のありふれている時代、目まぐるしい時代であっても、生活のゆとりと食の文化を大切にしようと思う心が必要です。
日本では四季があり、旬となる食材を食べながら感謝してきました。
その伝統文化を、少しでも紹介したいと思います。




【山の神様の年取り】

金田一村誌によると…
今日、12日は「山の神様の年取り」だそうです。

お餅を搗き頭魚のご馳走を供えます。
お供えしたものは、女性は食べません。
山の神様は、12人のお子様を持たれたので、そんなに子供を持っては大変な事や、ますます女の、気が強くなっては困る…と言うこのようです。

12月は、いろんな神様・仏様の年とりがあります。

■3日:お稲荷様の年とり(豆しとぎをそなえる)
■5日:恵比寿様の年とり(尾や頭のついた魚をたべる)
■9日:大黒様の年とり(豆料理に、二又の大根を添えて供える。)

※豆料理は9品上げると家宝が授かる。大黒様は、耳が遠くあられるので供えるとき、大根でお膳のふちをたたく。特に9日お大黒と言う。

大黒様の年とりの中で供える豆料理は、9品となっていますが隣の一戸町では、豆料理を48種類作らなければならないそうです。
しかし、どう考えても48種は思いつかず、46種類までは用意したそうです。

後の2種類がどうしても思いつかず教えてもらうと、「手まめ、足まめ」だということで、それができるくらい一生懸命働くのがよいとのことです。(一戸の年中行事から抜粋)

その大黒様の年とりの昔話がありますので、掲載しておきます。


【大黒様の年とり】

大黒様は餅好きで、或家でご馳走になり、ついつい食いすぎてしまいました。

家に帰る途中、小川で大根を洗っている女がいたので、腹ごなしのために1本くれるように頼んでみましたが、「此の大根は主人のもので、本数を数えてあるので、あげると足らなくなる」とはじめは断られました。

でも、マダカァ(2股)大根なら半分の折っても本数に変わりがないと言うことで結局もらい受け、大いに助かったということです。
そこで、大黒様の年とりには、マダカァ大根を供えることとなったそうです。


明日は、山の神様についてお話したいと思います。

2007-12-11(Tue)

舟沢観音

よりゃんせ金田一は、金田一地区の民話・年中行事・しきたりなどを収集し、先人たちの残した意思を受け継ぎ、その伝統文化を現代の人々に分かるような方法を研究し、継承していく事を目的にしています。

昨年は、「二戸きつね話」を出版し、700冊完売となりましたが、教訓も残りました。
書籍化する難しさや、方言の話し方はまだまだ勉強が必要でした。

今年は、年中行事の一つとして「観音様めぐり」を重点的に行いました。

金田一には、三観音があります。
今年は、ウォーキングが流行したこともあり、たくさんの人々に「観音様めぐり」へ参加頂き、金田一の風景を満喫していただけたと思います。
ですが、まだまだ金田一には埋もれている場所がたくさんあるはずです!

三観音の一つ、「舟沢観音」の場所は小学校裏の非難山のほぼ頂上、十二曲(じゅうにまがり)と呼ばれるつづら折りの坂を徒歩30分、
屏風上に広がる大きな岩の上に観音様が立ってたそうです。
此の地を設備し守っているのが、私たちのよき理解者〔杉の木会〕のみなさんです。

今回は、そこに伝わる昔話を一つ、金田一村誌より抜粋し、紹介したいと思います。


【耳切天王】

昔昔その昔、此の付近の神様方がお集まりになって、重大会議をお開きになられた。
それは、金田一及び附近一体を海に変化されて海産物の産地にしよう、との御相談であった。

ところが或神様は、此の土地は古来農業・養蚕の土地である、とて、海に化すことを不適当を論じ、海化反対論を唱えられた。
しかし、他の神様方は誰一人として是に応じて下さらず、巳に(すでに)海に変えることに決定しそうであった。
自分の説を容れられなかった神様は、此んな馬鹿げた相談は「聞きたくも見たくもなし」とて、後ろの山にお登りになり、頂に居られることになられた。

反対者のなくなりし事を此れ幸とばかりに、神様がたの行動は日増しに烈しくなり、後の山までも響く有様であった。其れを聞いて居らねばならぬ苦しさに耐えかねた神様は、耳を斬り、他の神様に居られた。

其れから間もなく、金田一及び附近一帯は海に帰られ、神様方は御満悦の態であった。
此の悦も束の間、やがて大津波に襲われ、神様方は皆おぼれて了われた。
唯、先の一神様のみは、高い山にあって津波をのがれることが出来た。而して、御心のままに、金田一及び附近一体は元のような原野に化され、農業・養蚕の土地とせされた。此の事があって以来、此の山を非難山と称し、その神様を耳切天王と呼び、農業・養蚕の守護神とし
て祀ったという。

現在、非難山はあっても、耳切天王の鎮座所は明らかでない。
巫女の口よせによれば、非難山の西向の所に鎮座されている……と言う。
そこで、村の有志数名で探し廻ったが、遂に見当たらなかった、ということである。
古老の談によれば、一度その御姿を見ることがあっても、二度と見つける事はできないと。

此の話は、よく寝物語りに祖母から聞かされたものです。
2007-12-10(Mon)

ただいま、発信中

ようやく、念願だった[よりゃんせ金田一]のブログを開設することができました。

喜びもさることこれからのことを考えると、気が引き締まる思いです。
少しでも、よりゃんせの活動をアピールできれば、幸せです。

まずは、はじまり、はじまり
2007-12-10(Mon)

よりゃんせ金田一のブログです。
現在製作中です。
プロフィール

よりゃんせ事務長

Author:よりゃんせ事務長
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