2015-04-16(Thu)

そばと山鳩

日ノ沢観音付近にある昔話をもう一つ。

樋の清水明治天皇東北御巡幸の折に、御膳水として差し上げた清水です。
<そばと山鳩>

むかしむかし、金田一のあるところにデデとガガとむすこの百姓が住んでいたず。
毎年毎年、凶作飢饉で米がとれながったず。
そこで、あらきをおこしてあらき畑を作ってそばを植えることにしたず。
デデ、朝早く起きて早々と畑さ出かけて行ったず。
その畑は、樋っこの橋を渡って、トトメキ、海老田、神山、にじゃがを上ったところにあったず。
ガガ、むすこさぁ「デデ、あらきばだけさいって、そばまいでらへで、いりっことどけろ!」と、いったず。
むすこぁは、届けることにしたず。しばらくいくと、樋っこの橋さぁ通りかかったず。
ひょいと、橋から川を見ると、じゃっこ、1匹みえだず。
「じゃっこもはらへってるべなぁ~」と、思って手さ持ってるいりっこ、ぱぁっとまいたず。
したっけぁ、2,3匹集まってきたず。こんどぁ、ぱらぱらとよけいにまいたず。
そしたっけぁ、いっぺぁ集まってきたず。おもしろくなってどんどんまいで、気が付いたどきゃ空っぽになってだず。
「こりゃ大変だ~。デデはらすかせでいるごった~あやまらねば~」と、さきをいそいだず。
畑さついてあたりをみわたすと、デデ、そばの種まきかげで倒れでしゃっこくなっていたず。
「デデ、もうしわけねぇ、もうしわけねぇ。デデ、もうしわけねぇ」と、泣き続けでむすこぁ血を吐いてしんでしまったず。
二人とも天さぁのぼっていってしまったず。
ガガ、2人とも帰ってこねえへで、夜が明けるか明けないうちにあらき畑さぁいったず。
しかし、2人をみっけれながったず。
したっけぁ、畑の真ん中に山鳩ぁ1羽いで、何だかしゃべりながらそばの種まいでたず。
よ~く聞いてみだっきゃ、涙っこ、ぼった、ぼったと、ながしながら「デデ、こっこけぇ、デデ、こっこけぇ、デデ、こっこけぇ~」と。なんども、なんども、頭を上げ下げして「デデ、ゆるしてけろ、デデ、ゆるしてけろ」って、ソバの種まいでだず。
山鳩の目が赤いのとそばの茎ぁ赤いのは血の涙が染まったのど、ソバの実ぁ三角なのぁ、流した涙ぁソバの実さ当たって三角になったず。
どっとはれ。

デデは父、ガガは母、いりっこはこうせんという麦の粉を炒ったもののようです。
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2015-04-04(Sat)

金田一の三観音様に関する昔ばなしっこ(あちゃとてた)2

観音ウオーク


金田一の三観音様に関する昔ばなしっこ(あちゃとてた)2<続き>
天神さんには、下のほうに天満宮があり勉強の神様・菅原道真公を奉っている。
そこには、ストド(ホオジロ)さんがいたず。
お母さんは、「ストドさん、ストドさん。うちの子供みながったかぇ?」と、たずねると、「一筆、申し上げ候」と、
言って勉強ばかりしていて気付かなかったず。
それではと、坂道を30間ほど登って観音様のところさぁいったず。
この観音様ぁ千手観音菩薩で本名千手千眼観音菩薩と言って慈悲深い仏様だず。
そこには、いつもより少し早く金田一に来て風邪を引いたカッコーさんがいたず。
「カッコーさん、うちの子供をみながったがぇ?」と、尋ねるとカッコーさんは、「ガッコー、ガッコー」と、
なくのでおかあさんは学校方面に探しに行ったず。
お母さんは、学校より高いところにある12曲りの舟沢観音様の所に行ったず。
この観音様は、聖観音菩薩または観世音菩薩と、言ってお釈迦様がまだ悟りを開く前の王子の姿で、
あらゆる願いを実現してくれる現世利益の菩薩だず。そこには、ホトトギスさんが住んでいたず。
「ホトトギスさん、うちの子供みながったがぇ」と、尋ねると、ホトトギスは大きな声で
「アチャトテタ、アツチャトンデタ、アチャトテタ、アッチャトデッタ~」と、こたえたず。
ジュウイチのおかあさんは泣きながら、岩舘欠そして土戸坂そしてみのがさかと、ずーと、ずーと追いかけてさがしたず。
「ジュウイチ、ジュウイチ、キーン」
鳴いて血を吐くホトトギス、どっとはれ。

この話の中には、いくつかの鳥が出てきます。(モズ、ホトトギス、ホオジロ、ヨタカ、カッコウ)
鳥の鳴き声がお母さんの愛情をリアルにしているところが泣かせます。情景が浮かんできそうです。
興味のある方は三観音を訪れて下さい。春のこの季節には、確かに、鳥の鳴く声がどこからともなく聞こえてきますよ。

陸奥二戸昔話


二戸には、「陸奥二戸の昔話」という本があります。
この本は昭和48年に発行されたものであり、にのへの風土に始まり、昔話の伝承や
語りの人たちの紹介、そして、昔話が165も紹介されている実に興味深く貴重な本です。
方言資料としてソノシートというものがついてありますが、聞きたくっても伝手がないので残念です。
その中で紹介されている「あちゃとてた」という話は、この話の内容とは違います。
折を見て紹介したいと思います。
2015-04-01(Wed)

金田一の三観音様に関する昔ばなしっこ(あちゃとてた)

よりゃんせ金田一久しぶりのブログです。
今年は、少し時間ができそうなのでこまめにブログを書きたいと思います。
3月15日(日)に金田一芸能のつどいがありました。
よりゃんせ金田一の出演は、金田一の3観音にまつわる昔ばなしっこでした。
みなさんに親しまれている観音様にまつわる話という事でみなさんの関心があり、また聞きたいという声がありましたので
ブログにて掲載したいと思います。

<金田一の三観音様に関する昔ばなしっこ・アチャトテタ>
いつの頃だか、昔、昔の話っこ
金田一上町一番地に「ジュウイチ」と、いうホトトギス科の鳥の親子が住んでいだず。
このジュウイチの子供はまだちゃっこくて巣から出たこがながったず。
おかぁさんが「えさを探しにいってくるから、大人しく待っているんだよ」と、言って出かけていったず。
それを高いどこから見ていたモズが、さっとあらわれてこどもをさらっていったず。
まもなく帰ってきたお母さんが、空になった巣を見て驚いたず。
そして、我が子を探して日の沢観音様(別名・海老田の山の観音様)にきたず。
この観音様ぁは、千手洗顔世音菩薩様であらゆる願い事をかなえてくれる仏様だず。
そこは、昼でも薄暗い場所でそこには鳥のヨタカさんがいたず。

「ヨタカさん、ヨタカさん、うちの子共見ながったがぇ?」と、聞いてもヨタカさん、「キョキョキョキョ」、「キョキョキョキョ」と、
驚いてぼかりでさっぱりらちがあきません。そこでかぁさんは天神山に行ったず。

*今日はこの辺で・・・
<日の沢観音>金田一の南端に「左ハふくおかみち 右ハしもとまいみち」と石に刻まれたトトメキの追分石があり、そこを「しもとまいみち」のほうに進んでいくと、赤い鳥居が道端にたっている。鳥居の横の急な坂道を上りきると緩やかな上り坂の参道がしばらく続く、そして行き止まりの先にあるのが、日ノ沢の千手観音の岩屋である。大きな岩を刳り貫いてつくられたお堂は一間半四方ほどであるが二十人は入れる。 千手観音は経典によれば、「千の手に眼がひとつずつ付いていて世の中のすべてを見とおす力がある」と説かれていて、正式には千手千眼観自在菩薩とよぶそうである。日ノ沢の観音堂にはそれらしき観音さまの姿はなく、赤地に金糸で織られた袋が二つ祀られている。袋のなかに何が入っているかはわからない。十年ほど前までは、年末から正月に御こもりが行われ、参拝者も多かったそうである。参道はいまでもきれいに整備されている。
hukinotou

フキノトウがでる春がやってきました。よりゃんせ恒例の「三観音参り」が行われます。
5月9日(土)8時30分~
出発:金田一の延命地蔵尊前から
途中参加でいいです。よりゃんせの旗を見かけましたらご参加ください。
ルート:延命地蔵尊前➡日の沢観音➡天神山観音➡舟沢観音です。
三観音を三年お参りすると願い事がかなうといわれています。どの観音様の道も難所があります。
2012-10-03(Wed)

蓑ヶ坂・沼の伝説

奥州街道「金田一宿」は99番目の宿と言われています。
滝がきれいな姉滝、川口集落を過ぎると釜沢地区になります。
10月28日に行なわれる「ロングトレイル」のため写真を撮りに行きました。

釜沢

今、釜沢地区は稲刈りに追われ、りんごの作業の真っ最中です。
りんごには「葉摘み」という作業が必要なのだそうです。
赤いリンゴは着色管理が必要なので、
りんごの周りの葉っぱをちょつと採ってあげて
色づいたら今度はりんごをくるっと動かしてまんべんなくお陽様を浴びると
りんごは赤く、美味しくなるのだそうです。
一手間も二手間もかかるからリンゴはおいしいのですね。

りんご

街道沿いには、リンゴ畑や田んぼががあり長閑な風景がつづいています。
今は長閑なこの地ですが、、釜沢城があったため色々な伝説があります。
「小笠原淡路守の怨霊」「血の宮伝説」など、歴史に基づく伝説を知ることができます。
そして、蓑ヶ坂の入り口へ・・・

みのがさか

駕篭立て場の頂上目指してひたすら登っていくのです。
奥州街道一といわれる峻険の坂道を上りきるとかご立て場につきます。
頂上には明治天皇巡幸の記念碑があります。
東側を見れば下に馬渕川そして舌崎、北東に目時、名久井岳が見られます。
この頂上から、少し歩いた所に一里塚があり、左に下っていくと伝説の沼があります。
沼の伝説は三戸、二戸では少し違っています。


(鞍沼伝説)

三戸町の近く沼尻部落のはずれに、蓑が坂沼という沼があり、底知れぬ深さであった。
この沼に住む主は大蛇で、雨が降りそうになると、沼の近くの坂に蓑と笠に化けてかかっていた。
通りがかりの村人が雨に困って、この蓑と笠を着ると、そのまま沼に引きこまれてしまうのだった。
それでその坂を蓑が坂というようになった。
ある時、話を聞いた南部の家来で、玉山兵庫という武士が、これを退治しようと馬に乗ってやってきた。
しかし、主は見当たらず、沼に一本の大木が浮いているので、これ斬った。
するとその大木は大蛇の姿を現して死んだ。
兵庫は馬の鞍を沼に沈め、以来この沼を鞍沼と言うようになった。
また、沼の傍らにお堂を建て、これを鞍沼明神と言うようになったのだという。
『日本の伝説25 青森の伝説』

これと、ほぼ同様の話が二戸にも伝わっています。
ヌシの討伐に奮戦するのも南部藩士の玉山昇という同じような名の人ですが、中盤から話の模様が違っています。

玉山昇が主を見ると・・醜い面相のいたこが現われ、憎々しげに昇の顔を見るとけたけたと笑った。
馬もあとずさりし、動こうとしない。これだ、と思った昇はオノレッと、いたこを槍で突いた。
いたこは一声叫ぶと槍もろともに姿を消した。
沼に逃げ帰ったに違いないと見た昇は、もぐり人を頼んで、沼底を探らせた。
すると、世にも不気味な大木のようなものがあり、もぐり人はこれに縄を結びつけ戻ってきた。
みなでこれを引き上げてみると、幾百年生きたかという大百足であり、昇の槍が胸に突き刺さっていた。
ちょうど同刻、盛岡の玉山家で昇の叔父が本を読んでいると姪の御蓮が庭先の石垣にスルスルと登りだし、叔父を見るや醜怪な面相に変じ、けたけたと笑った。
これは妖怪と叔父が槍で突くと、どさりと落ちたのは可愛い姪である。
介抱に手をつくしたが、御蓮は亡くなった。
大百足退治から戻った昇は事の顛末を聞き、これは大百足の祟りかと思うも最早どうしようもなかった。
亡き娘を御蓮神社として祀り、以来玉山家では大百足のついた紋を門に立てたと言う。今も、玉山村の姫神神社の傍には御蓮神社の祠がある。


現在、沼は小さくなり見る影もないようですが、不気味さは感じ取れるようです。
そして、玉山昇の武勇伝はいろいろな所であり、玉山家の紋が百足だというところがおもしいですね。


2008-09-29(Mon)

うわののじさまの『むかし話』

今日、二戸市の本屋『アイックス』にて、「うわののじさまのむかし話」のCDを買いました。
このCDは、カシオペアFMで放送されている昔話です。
うわののじさまの住む『うわの』は、上野と書き金田一の湯田や石切所にあるようですが・・・。
このじさまは、石切所のじさまだと思うのです。
素朴で、温かい人柄が言葉に出ていますね。

mukasicd.jpg

CDの内容
 1、ねずみ浄土
 2、猿と猫と鼠
 3、木龍漆

楽しい話が方言で語られていました。
子供達は、静かに聴いていたかと思うと、にんまりとしてその方言を言ってみたり、猫や鼠のまねをしてみたりしてたのしんでいました。
いつの日か、よりゃんせでも、CDが出せるよう頑張ってみたいものです。
プロフィール

よりゃんせ事務長

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